
津波
「ノア、みぃか、手を離すんじゃないぞ。何があっても離しちゃだめだぞ。」
三匹は手をつなぎ、高台の倶楽部ドクロを目指して走り出しました。みぃかはぜいぜいと息を吐き、今にも倒れそうです。
「みぃか、背中に乗れ。」
猫三郎がしゃがみこんだとたん、黒い波が覆い被さりました。二匹はあっと言うまにさらわれて、暗闇の中に消えてしまいました。
「父さーん、母さーん。」
キロン診療所の避難所にて
「父さーん、母さーん。」
「ノア!ノア!大丈夫か?苦しくないか?」
「ロイス先生、僕・・・・またあの日の夢みたよ。父さんと母さんが・・・」
「うなされてたぞ。庭まで聞こえるほどの大きな声だったからきてみたんだ。汗びっしょりじゃないか!」
ロイスはノアの汗を拭いてやりました。
「すごく寝苦しくて、何ものかに心臓を締め付けられてるみたいで。」
「そうか、今日は満月だからなぁ。」
「・・・満月って?」
「満月の日は、荒れるんだよ。良いことも悪いこともいっぺんに起きるんだ。」
ロイスはカーテンを引き、窓を開けました。
「大きな月だなぁ。これじゃあ、電灯もいらないや。気晴らしに散歩でもしてみるかい?」
二匹は夜風にふかれながら歩き始めました。
「春だというのに夜になると風が冷たいね。手がかじかんでしまうよ。」
「もうじき桜の季節というのにねぇ。」
ロイスはノアの手をとって歩いています。
M(歌)
「先生、何かきこえない?風の音に混じってだれかが歌ってるみたい。」
ロイスは耳をピンとたてて、左右に動かしました。
「何となく聞こえるような気がするけど、はっきりしないよ。ノアは父さん譲りの良い耳をもってるからなぁ。」
「あっちから聞こえてくるように思うけど。」
ノアはサザンクロスの方向を指しました。
「サザンクロスか。夜の散歩にはちょっと遠いけど、どうする?」
「僕、あの声の主を知りたいんだ。」
ノアはロイスの前に立って、小走りで歩き始めました。
「そんなに慌てなくてもいいじゃないか。」
「たまには夜のかけっこもいいじゃない?先生」
サザンクロスの里山にて
サザンクロスの里山では、「語りがけ」という儀式が行われていました。半年前に震災で亡くなった魂を沈めるため、天との交信能力をもつ宮之島家のウサギたちが、数百年の時を超えて、執り行なうことになりました。界隈の動物たちは深夜にも関わらず集まって、祀りを見守っています。
M(音楽)
長(おさ)を務めるうさぎ、宮之島しろは、雲に向かい、亡きものたちの思いを詞に託して語りかけています。雲は風を呼び、風は亡きものたちの思いを歌に変えて、長(おさ)に返していきます。長(おさ)は風に向かって歌を詠み、その思いは祈りとなって、天地を覆い尽くしていくのでした。
「すごい。」
「いったいどこからこんなに集まってきたんだろう。」
二匹は顔を見合わせました。里山は動物たちと天空との思いが一緒になっているかのように、熱い空気に包まれています。
「お腹に響くよ。勝手に声が出てしまうんだ。」
ノアは動物たちの歌声に合わせ、足踏みしながら歌いはじめました。
「僕も、心があちこちにはじけていきそうだよ。」
ロイスも身体をゆらしながら、歌っています。
翌日の午後
ノアはサザンクロスの里山にやってきました。しかし、昨晩の光景を現すものは何一つなく、古びた石碑が一本立っているだけでした。
「近しものみまかりて、黄泉の園へ召されし折、しるし届けらることあり。そはうらの輪つがりしむ命、受けしものへのしをりなるべし。」
ノアは石碑の文字を指でなぞっては、ぼそぼそとつぶやきます。
「『近しいものが亡くなって、天国に到着したときに、しるしが届けられることがある。それは心の輪をつなげていく指名を受けたものへの、道しるべとなるだろう。』って意味だよ。」
ふりかえると、昨晩の白ウサギが立っていました。
「しるしって、おしるし伝説のこと?」
「伝説じゃないよ。ほんとにおしるしは届くのさ。」
「うさぎさん!昨日の祀りは凄かったです!」
「昨晩は、震災で亡くなった動物たちへの語りがけをやったんだよ。うちは宮之島といって、代々、祀りをまかされている血筋なのさ。」
「道理で、おしるしのこともよく知っているんですね?」
「わたしもよくは知らなかったんだが、母を亡くしてしばらくして、手紙と共におしるしが届いたんだよ。猫さんには信じられないだろうけど。そこで初めて、伝説ではないとわかったの。」
「なんだか夢のようなお話だぁ。」
「おしるし、見たい?」
しろは笑いながらノアに語りかけます。
「そりゃあ見てみたいけど、初対面の僕なんかに、見せてもいいの?」
「猫さんとわたしが会うことはすでに決まっていたの。だからいいのよ。」
「・・・・・」
「今は意味がわからないだろうけど、そのうちからくりが見えてくるよ。うちはこの山を下ったところで農場をやっているの。あそびがてらいらっしゃい。」
「じゃ、お言葉に甘えておじゃまします。僕、花吹雪ノアといいます。よろしくね。」
「わたしは宮之島しろ。兄のじゅりと一緒に暮らしているよ。」