オーフィアス組曲 1章「春雷」

宮之島しろのピアノ部屋にて

翌日、ノアは宮之島家を訪れました。

「僕の家にもかつてはピアノがあった。」

ノアは黙って目をつぶりました。

「僕は母も父も家も、何もかも、震災で失なってね。父はピアニストだったから、ピアノをみると思い出されて・・・僕も少々弾けるんだけど、今はもうピンとも音を出さなくなってしまったよ。」

「そっか。」

「今までは辛くて、ピアノをみても寄り付かないようにしてたさ。でも今日はちょっと違う気持ちだよ。ここにきて、気持ちがほぐれてきたように感じてるの。しろさんなんだかおもしろいよ。」

「そんなにわたしの部屋っておもしろい?」

「ほら、あれとか」

ノアは花瓶にさした編み棒とおはしを指差しました。

「あれも。」

ピアノの鍵盤には、食べかけのりんごや人参、お菓子、ふちには梅酒のグラスまで置かれていました。

「ピアノがお皿がわり?」

「曲を作っていると、忘れないうちに書いておこうと思って、ついつい鍵盤の上に食べ物を置いてしまうの。あぁ、あの編み棒ね。あれは母の形見だよ。お箸はいちいちとりにいくのが面倒だから、あそこにさしておくことにしたの。編み棒とお箸は似てるから。」

「しろさん、作曲もやってるんだね!祀りと作曲ってすごいギャップだよ。あはははっ。」

「ノアさん、初めて笑った。良かったぁ。この梅酒どう?亡くなった母の手作りだよ。良かったら飲んでみてね。」

しろはピアノのふちにあった、梅酒のグラスをさしだしました。

「ありがとう。」

ノアは梅酒をなめながら耳をそばだてています。

M 明珍風鈴の音

「ねぇしろさん、かすかに音がしてるよ。キーン キーンってきれいな音がどこかでしてる。」

「あれはね、おしるしの音よ。ノアさんに見せたくて、二階からピアノの下に運んでおいたの。」

しろはピアノの下から、段だら模様の風呂敷づつみを引きだしました。

「まぶしいから目隠ししてたほうがいいよ。」

ノアは両手で目をふさいで、後ろを向きました。風呂敷包みの中には、オフホワイトの大理石に、宝石のらでん細工が施された、八角形の重箱が入っていました。

「さぁ、どうぞ。」

ノアはあまりのきらびやかさに、言葉を失い口をつぐんでいます。

「まだこんなもので驚いちゃいけないよっ!」

しろは上蓋をそっと持ち上げました。

「うわぁああっ!この亀は生きてるの?」

「生きてるよ。生きてるから金貨を生み続けているのさ。」

「この世のものとは思えない。こんな凄いものがこの家にあったなんて。」

「ウサギ小屋にお宝が鎮座しているなんて、似合わないよね。赤い毛氈に金色の亀、そして金貨でしょ?派手すぎるよねぇ。」

M  金貨のころがる音 

金色の亀は音をたてながら、金貨を生み続けています。

「今日はノアさんがきたので、亀も張り切っているような気がするなぁ。」

M  明珍風鈴とピアノのメロディ

ノアは無言でピアノの前に行き、メロディを聴きながら探り弾きしています。

「このメロディを聴いていると、過去に戻されるような不思議な気持ちになっていく。オルフェウスの竪琴みたいだ。」

「兄は昔に戻ったまま、今の時代に戻れなくなったら怖いと、おしるしには近づかないようにしているくらいだもんね。」

「僕はそんなに怖くはないけど・・・けど、今と昔とが同時進行で動いているような気持ちになってる。」

ノアは耳をふさいで言いました。

「ほんとはね、現在も過去も同時に動いているんだよ。わたしたちも過去のどこかで出会っているか、将来また出会うことになっているから、今出会えているのさ。ほら、里山で会った時にも言ったでしょ?覚えてる?」

「僕としろさんが会うことはすでに決まっていた?」

「うん、そのこと。それはいいんだけど、このメロディは時のスピードを早めさせるみたいだね。」

しろは重箱のふたを閉じました。

「あぁ、なんだか気持ちが落ち着いてきた。少しは怖かったのかもしれないよ。ふぅ~~~。」

ノアはピアノの前から離れて、しゃがみこみました。

「われわれは時のシナリオにのっとって生きているんだ。時は、昔も今も未来も隔てることなくぐるぐる回っていて、必要な時に必要なだけ出会いをくれるんだ。だから考え込まないで、自然に出会いを楽しめばいいんだぁ。」

「しろさん、凄い。凄いこと言うね。わたしたちは、出会うことになってたんだね?これから何か、面白いことが待っているのかもしれないぞ・・・」

突然雷が鳴り、雨が降り始めました。

「おしるし、嵐が運んできたんだよ。あの時も今日みたいな雷雨だった。違うのは兄がいないことだけだ。夕方までには戻るといってたけど、大丈夫かなぁ?あの日は、お母ちゃんが詠んだ交信詩を兄とみてた。」

「交信詩って?」

「宮之島の家はね、ご先祖さんの時代から天と交信してたんだ。直系の母には、その能力が強く出たんだろうなぁ。」

しろはピアノの蓋の中に無造作に投げ込まれていた和紙の束を取り出しました。

「母は、嵐に向かって語りかけ、即興の詩を詠むのが得意だったの。これは、交信詩集さ。いつも嵐がくると、お酒に桜の花びらを浮かべて、嵐見物。嬉しそうに足を鳴らしたり、手を叩いたりして、そりゃあもう騒がしい。そのときだけは別ウサギだったね。わたしは、母の詩にあわせて、即興でピアノ伴奏してたよ。」

ノアはしろから一編のポエム渡され、だまって見つめています。

「手放す・・・」

風は強くなり、歌うように木々を揺らしています。しろは風に語りかけるように、そっとピアノを弾き始めました。

M  ピアノ曲「addictus~手放す」

「addictus~手放す」

風は歌っている。

息を潜め 時を止め

涙を飲み込んでは

歌っている。

風は歌っている。

ありったけの力をふりしぼって

哀しみのメロディを歌っている。                        

いちじくの木が あごひげをなびかせて タクトをとると 森の木々は 重厚なハーモニーを奏で始める。

風の歌はレクイエムとなり

はんの木は 厳かに踊りを捧げ

桜の木は 咲きかけの花を惜しげもなく散らし

空のかなたに放ってゆく。

わたしは 弔いの鐘を打ち鳴らし 天に語りかけた。

吾子よ 手放しの存在よ。我らの想いは届いたか?

雲よ 新生の門出に 祝福の雨を授けておくれ。

ひとしずくの雨 頬をつたい

乾いた大地の喉を潤す。

雨の匂いは 土の目覚め

ひざまづいて耳をすませば

柔らかな雨の安らぎ 翡翠色の森を包む。                               

地の底には 命の種

ゴウゴウと蠢いて 芽吹きの時を待っている。

風よ 大いなる風よ

命を芽吹かせ 心を解き放っておくれ。

木々と共に 大地の歌を歌っておくれ。

                                    

海よ 天空の海よ

命を巡り巡らせ 新しい世界へ運んでおくれ。

宇宙(そら)へ 天界の海へ

海が遠くでうなっている。

最果ての海風は 氷をばら撒きながら

荒くれた声で歌っている。

南の火風は ため息まじりのかすれ声で

ささやくように 歌いかける。

                               

風たちは 見つめあい 抱(いだ)きあい

海のゆりかごに揺られて

混ざり合い 渦巻いて

天界に翔け上っていった。

空には雲海の翼をまとった大鷲が現れ

紅色の目玉をカッと見開き 灼熱の息を吹きかけては

地をにらみつけている。

足踏み轟け 空をゆさぶれ

赤い目玉の大鷲を

天の果てまで吹き飛ばせ。                                   

風よ      ダッタン

森一番の長老杉の

三叉の枝を凍らせて

鋭い刃に仕立て上げ

大鷲めがけて吹き飛ばせ。           

足踏み轟け 天に手放せ。

命の綱を 振りほどけ。

ダッタン

                                       

ダッタン

ダンダダン ダッタン

                          

翼はきらめく 雲の海

波のまにまに 星はまたたく。

ちぎれ雲は 翼のかけら

流れ流され 天の果て。

氷の三叉に射抜かれた

紅の目玉は 星の赤子。

三叉の刃に刺された月は

凍てつく空の 切り裂きナイフ。

星屑の雨 空を舞い

風の吐息 白く煙る。

月影と共に 地に消えゆく。

 

星の血潮よ 脈打つ命よ

天と地と 駆け巡れ。

命のこだまを響かせて

縦横無尽に 駆け巡れ。          

風を連れて

息づく鼓動を 聞きながら

駆け巡れ。

 

風は歌っている。

緑の匂いを ふりまいては

歌っている。

                         

風は歌っている。

こぼれおちる 柔らかな日差しと微笑みあって

芽生えの息吹を 感じながら。

宮之島とし

                              

 

M 金貨の音だけが響いています。

「ピアノと嵐、コンチェルトみたいだったよ。お互いに歌いあい、絡み合って、邪魔しないようにして、盛り上がってた。曲が終わったら、嵐もどこかにいっちゃったね。」

「母は、思い出してほしかったのかもしれない・・・虹渡りをしてから、1年以上も経つんだものなぁ。」

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