母四回忌

昨日、母の4回忌(2021年12/3没)を迎えました。みなさんのような派手なことはできませんが、ささやかに赤い洋梨金柑を供えました。赤い洋梨はレッドバートレッドというそうで、今年になって初めていただきました。わたしはラ・フランスより好きですね。

ラ・フランスより甘く、甘味の中に独特の美味しさが含まれています。一般的な洋梨とは遺伝子が違うのだそうです。母が生きていたらおそらく、「こんなにおいしいものは食べたことない」と言ってくれたのではないかと思っています。

施設入居前は、鶏のソテーなど、年寄りらしくない食べ物も多少は食べられました。肉のほうではなく、パリパリした皮がおいしいと、喜びで顔を歪めつつ食べておりました。他には海鮮鍋なども。いつまで食べても飽きないと食べておりました。しかし、食事の途中で気を失ったり、倒れたりと大変でした。

大抵食事の後は、クラシック音楽の番組をみたりして、過ごしておりました。母は器楽曲が好きで、ピアノとバイオリンのデュオやピアノソロ、オケなどを聴いては「すばらしい演奏だ」と感嘆しておりました。良い演奏家が出る(演奏面で)番組しかみてませんでしたので・・

母は音楽を勉強したことはありませんでしたが・・難しい曲、初めて聴く曲の良し悪しも8割がたわかり、的の当たった評価をしておりました。それは自分の子どもが音楽をやっており、無意識のうちに音楽の話が耳に入り、意識的に曲を聴くようになり、耳が肥えてきたのではないかと思われます。

加えて、母の父(わたしの祖父)が彦根仏壇の職人の範疇におさまらず、芸術的な感性をも備えていたことがあるかもしれません。母はよく祖父の仕事の話をしておりました。母亡き後も、自慢話くらいにしか思っていませんでしたが、それが覆される書籍を発見しました。

彦根仏壇の制作は分業制で、徒弟制度を通して技が伝承されてきたようです。祖父は流派の師匠にあたる存在であったことが関西大学の書籍に少し掲載されておりまして・・驚きました。祖父は母が幼少の頃に亡くなっており、わたしは名前も知りませんでしたが、亡き母の戸籍謄本で確認することができました。

母が自慢するだけの人物であったのだろうと思いました。とある会社のサイトには、お弟子さん(祖父の孫弟子さんで、書籍にもお名前がありました。)が作られた作品も掲載されておりました。

今でいえば、工芸分野に入るのでしょうね。

余談ですが・・母は90代を超えても、意識は概ねしっかりしておりました。とんでもないことを話すので、これはボケたか、昔見た映画の話が蘇ってきたのか?などと思って、他の人に確認してみると、間違っていないことが多々ありました。このことからも、わたしの祖父の仕事も、大袈裟ではなかったのではないかと、思っております。

このような母のことですから、今後の供養も型通りではいけないと考えていました。お供物については、前から形にしてはいましたが、今の自分にとっては習作レベルで、何一つ面白くないものでした。面白くもない、不完全なものを音にしたとして、雑音を撒き散らしているだけです。

点数にすれば20点。これを99点くらいにもっていくには、勉強が必要。大作曲家の作品も、自分の完成度によって、読み取り方が違ってきます。一昨日は、譜面の整理整頓をして、必要なスコアは手に取れる場所に置き換えました。さんざん、いやというほど聴き込んだ曲は奥の方へしまいこみました。

母の供養を通じて、思い描いた段階へと歩を進めることができています。感謝です!

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