緑内障の経過と生活上の注意点
6/24に眼科検診に行ってきました。記録を残しておくと役立ちますね。先日の視力検査で良い数値が出ましたが、4月の検査結果と変わっていませんでした。

検査結果
視力は右=1.0 左=1.2です。4月から左が0.2上がっていたのでした。数値の変化がないことは、身体全体が安定している状態が表に出てきているのかもしれません。
眼圧も前回と同じくらいで、先生のお話によれば「お薬がうまく効いており、治療がうまくいっています。」と4月と全く同じ言葉でした。しかし、「視野検査のときに、押しすぎです。見えたような気がするだけで、押さないでください」と注意を受けました。
わたしもちょっと押しすぎかもしれないと、気づいていました。 次回からは慎重になりますよ。
眼科に通い出すようになったきっかけは、「結膜炎」です。頻繁に起こしていたため、自分の手に負えなくなったのです。専門家に頼るしかないと思いましたので、眼科を近所で探しました。>いくつか候補を探し、潜在意識と照らし合わせて決めました。
遠方では通いきれませんので、歩いても行ける場所。地下鉄で1駅の小さな眼科にしました。小さいのですが、遠方からの患者さんも多いようです。>薬剤師さんのお話では「有名な先生だから」ということでした。わたしが「すごい先生だ」と知ったのは、薬剤師さんのお話からです。
15分の診察+検査20分くらいで、テキパキと流れていきます。無駄なお話は全くなく、わたしには快適です。別の薬局で(軽い持病があるためいろんなところで薬もらってます)「治るには先生との相性もあるよ」と伺いました。同じ治療でも治る時と治らない時があるようです。
そうなんだぁと思いました。
結膜炎のこと・・細菌やウイルス以外に、ストレスもあります。若い頃はストレスで結膜炎になるなんて、考えられなかったですが、年をくってから今までに出会ったこともない相手とのお仕事は、身体がおいついていかないんだなと思いました。
いつまでも若いわけではないのです。見た目若くても、見えない部分は年を重ねているんですね。2023年には、苦痛に感じられる仕事や仕事以外のいやなことは全て辞めました。
2023年から今の眼科の先生にかかりはじめました。その後は昨年末1度だけ軽い結膜炎を起こしたのみ。今年になってからは1度も起きていません。
苦しみ癖をとる
眼のトラブルがほとんど起きなくなったのは、定期検診を受けていることと、考え方の方向性が変わったことでしょうか?眼科は内科と違って、検査の種類も多いし、座っていればいいものでもないから、非常に疲れるんです。
最初のうちは、なんとか検査の数値がよく出るようにしようと、良いと言われていることをやっていました。今考えてみればこれが良くなかったと思います。なんとかよくしたい=私利私欲のようなものです。われわれは自然の中の一瞬ですから、どうすることもできません。
そう思ったとたんに楽になってきました。先生にお任せしようと思ったんです。数値が悪くてもそれが今の自分だから、受け入れることにしました。このように突如として考えが変わったのは、前回4月の診察の日にマインドフルネスを軽くやった結果かもしれません。物分かりの悪い人間ですので、マインドフルネス瞑想を年単位で続けていても、なかなか具体的な結果(内面の変化)に結びつきませんでした。
しかし、今は病を通じて真理に少しだけ到達できたように思えます。病=悪のように思いますが、それだけではないです。悪い眼を通じて、それも自分なんだと受け入れるようにしたところ、ものすごく楽になれました。
眼だけではなく、創作もそこからの仕切り直しでした。
今は作曲中のスケッチの具体化をすすめています。作っては壊し、考え込むことはもうなくなってきました。なんだか身体と脳ってつながっているなぁと思う今日この頃です。もちろん作ることは楽しいばかりではありませんが、うまく書けるときは、すーーっと空に裂け目ができるような感覚になります。今はそれに近いか?
悩んでいるとしたら、作り置きの料理をどうするかくらいです。これも楽しい悩みかもしれません。
苦しみ癖を抜けようとして、他力本願はやめたほうがいいです。他力本願とは、占いや新興宗教、もしくはそれに近いものです。このような仕事をやってる人には近づかないほうがいいです。仕事人も依存心が強いように見受けられますし、自己管理もできていません。また、このような仕事人が近づいてくる時は、自分にも依存心があるときなのです。
どちらか一方だけに依存があるわけではなく、相互依存であると思います。
わたしが一時師事した西洋占術の先生も、「こーいうものに依存してはいけません。儲かるのは占者のみで、客はお金を運んでいくだけで、全く幸せになれません。このような考え方もあるんだと受け止めるべき。」とのことでした。
星のことですが・・・大昔は照明というものがありませんので、夜空の星々の煌めきを眺めて、神秘を感じたのでしょう。そこから神話や占いが生まれてきたのかもしれません。今でも未開の地の夜空を眺めれば、星々の美しさに感動するそうです。わたしもときどき、ビルの谷間の煌めきをみては、楽しんでいます。

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