病を通して本来の自分を知る

昨年知り合った方なんですが、その方は女子大で音楽の講師の経験があるようです。しかし今はやめておられます。理由は「学生の質が悪く、レポートの提出など決められたことをやらない。注意すると親が出てきて、噛みつく。加えてネットであることないこと書かれ、精神を病んだ」ということでした。

多くの音大卒業者が通る道。大学を出ても仕事が少なく、生活苦がつきまとう。この方も生活苦で相当苦労なさったようですが、今はご結婚なさっているので多少は楽になられたかもしれませんね。詳細はわかりませんが・・・

この方は10年前(40代)から正常眼圧緑内障 白内障 強度近視 膠原病他色々な病気を抱えておられ、今は眼科での入院手術中です。

良い眼科医との出会い

上記の方(50代)ですが、身体の病の治療を優先していたため、ついつい目の治療に行く機会を逃したそうです。緑内障の目薬がなくなってから、診察を受けるという方法であったため、治療の間があいたのでしょうか?その間にどんどん緑内障がすすみ、気づいたら目を開けると周囲が真っ白に見えていたそうです。

そのため、急遽両眼手術となり、現在入院中です。

わたしのかかっている眼科では、先生から「今度は2ヶ月後です。お薬は2本出しておきますがどうですか?余っているなら、1本にしますが・・」といった感じで、治療の頻度も決めてもらっています。そしてあまり専門的なことはおっしゃいません。「あんまり見えてないんじゃないの?」とか「眼圧が高い」くらいのことはおっしゃいますが、その他のことは黙っておられます。

薬についても「多少は毛深くなったりするけど、それは仕方ないね」と楽観的な感じです。しかし、検査や診察の頻度についてはきちんと設定されています。薬がなくなってからきてくださいとはほとんど言われたことがありません。

また、薬が効く=2.3ヶ月で眼圧が5以上下がること、2ヶ月で1や2くらいの下がり方だと、「効いてない」と判断されるようです。効いてなければ薬を変えていく手法のようです。

臨機応変に対応してもらっていることがよくわかりますが、あちこちみていますと、3年間同じ薬を使っていて、視野が大幅に欠けていても「変わりないです」と言われ続けていたなど、疑問を感じる診察状況を書いておられます。

ネットで評判の良い先生を頼りにしておられる方は多々いますが、やめたほうがいいですね。youtubeの発信を鵜呑みにして、緑内障専門医を探しに探して診察を受けても良くはなってないなど・・専門医でなくてもちゃんとみていただける先生もいますから、早期にそのような先生に変わっていくべきです。

ストレスから病気に

ストレスの多くはまず、人間関係から発生することが多いです。上記の方も「教える仕事は2度としない」と書いておられました。生活のためについた仕事がストレスになり、自律神経のバランスをくずしてしまい、それが重病につながったのではないかと思います。

わたしも今になって思い起こせば、似た経験があります。

自宅レッスンの仕事でのストレスです。数年前、やめようと思っていた矢先、一人の生徒さんから連絡がありました。お電話で話したところ、過去に某楽器メーカーのピアノの先生をなさっていた経歴で、教えることのプロだとPRされました。わたしもそれなら大丈夫かと思いましたが、当時から事務的な約束を守らないなどの対応がありましたね。

ネットを通してのレッスン依頼でしたが、全ての面で過去には出会わなかった生徒さんでした。伺ったところ、色々な先生を転々としてこられたようでした。印象に残っているのは、ケーキを作りながら教える先生がいたこと。わたしも伺った当時は驚きましたが、それなりの理由があったのです。

この先生には「ピアノは向いてないからやめなさい」と言われたとのこと。それでも継続したため、ケーキ作りの実力行使となったのですね。

わたしはこの生徒さんのレッスンが終わった夜には、頻繁に目の不調が起きていました。突然瞼が腫れて、結膜炎の症状が出るのです。そして1週間は治らない。そのため抗生剤の点眼液を常備していました。加えて身体もだるく、動きにくくなる状態でした。

結膜炎は癖になるのかもしれません。この状態は年に数回は起きていました。教えることが苦痛なのに無理に教えて、身体が警告を発していたとしか思えません。最終的には「あなたには仕方なく教えているだけです。自宅で復習する時間が取れないような人は向いてないからやめたほうがいいですよ。」とはっきり申し上げました。この言葉を素直に受け取っていただき、レッスンから撤退されました。

その後はじょじょにわたしの体調もよくなり、2023年6月からの眼科診察以降は、全く結膜炎は起きておりません。もしかしたら、頻繁に起きていた結膜炎は緑内障につながるものであったかもしれませんが・・・

自分の本来の姿を知る

2021年末に母が亡くなったことがきっかけとなり、本来の自分にじょじょに戻っていきました。まず書きの仕事が突然多忙になったことです。多忙をきっかけに、知らず知らずの間に考え方が変わっていきました。

教えるビジネスは自分には全く不向きであること。依頼されたからといって調子にのってやれば、必ずツケが回ってくる。いい加減に撤退して杭を打たなければいけない、と目の病を通して真剣に考えました。

心と身体は一体のものです。どこか不満があると、身体に反応が現れてくるんですね。教えることが天職な人が楽しく感じることを、ストレスを感じてしまうのは、もう一つの自分が踏みこむな、と警告を出しているのかもしれません。

本来の自分の姿に戻れと、身体が教えてくれたと思います。

病気と裏腹に、演奏による瞑想の一つとして「ピアノのための瞑想曲」という新たなジャンルを手がけることにしました。今、ポートフォリオに提示するため制作中でして、そろそろ出来上がりかな・・というところまできました。このジャンルはわたし本来の姿がはっきり出ているものだと確信しています。

そしてオーフィアス組曲の楽曲にも、この瞑想曲を取り入れることにしています。他には日本の伝統的なお祭り「祇園祭」のお囃子を取り入れた楽曲も作りました。がしかし、気に入らない部分もありますのでこれから手を入れていきます。

本来の自分(潜在意識)との対話は、荒っぽいものもあるんだ!と実感。自分が何者であるかを知ることは、命がけであるのかもしれません。回り道、病、力づくなどなど柔いものではなく・・嵐のようなエネルギーが発散されるのではないか?と思っています。

嵐が過ぎ去ったは清々しく、自分に自信がもてる。変化を受け入れ楽しむのです。

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