音で遊ぶ
45年ほど前(大学在学中)芸術は学問であるのか?遊びであるのか?思い悩んだ時期がありました。私の選んだこたえは「芸術(音楽)は遊びである」というものでした。
学問としての音楽より、心に寄り添う作品を自分自身が求めていたことを、思い出します。音楽を学問としてとらえる世界も存在しますし、そのような世界も必要だと思います。しかし自分は血が違うと感じていました。人間は環境や遺伝の影響が強いといいますが、そのとおり。古風で窮屈な地域で10代の半ばまで過ごしたこと(今でも好きな地域ではありませんが・・・)や医師であった父の影響などが、作品に投影されていると思うこと、多々あります。
自分の作品を聴いていると心が緩み、解放されていくことを実感します。過去に癒しのための楽曲を依頼されたことは少なかったのですが、別の目的のため(例として目立つ部分が斉唱であったり、広い意味での試合向け)の楽曲においても同様でありました。無意識のうちに「苦からの脱却」を企てていたのだと気付かされました。
わたしには苦しみ癖(取越し苦労的な)があります。深く考え込んだり、完璧でなければ許せないとの思いがあり、自然と創作にも反映されていることを最近になって発見しました。
心の癖=苦しみ癖が創作の源泉となっていますので、音で遊ぶことはわたしの人生に必要不可欠なものであるのです。加えて、苦楽は表裏一体と言われるように、苦しみを味わいつつ愛でることは、創作だけではなく、全てに独特の深みをもたらすものでもあると感じています。
今は創作を通じて、複雑怪奇な人生をも楽しめる心の余裕が得られ、苦しみ癖からの卒業も間近かもしれないと、思う日々です。
マインドフルネスと音楽
2019年の10月末より、マインドフルネス瞑想 を実践しております。生きる上でのアドバイス、創作のエネルギーなどを受け取り、本来の私に戻りつつあ ります。
マインドフルネス瞑想とは、身体の内側を観察し、潜在意識にアクセスして、さまざまな 気づ きをいただく方法です。潜在意識と触れ合う(自分に向き合う)ことは感情の整頓に通じ、怒りや不安などの堂々巡りを消し去る手立てとなります。マインドフルな生活を続けることにより人生が変容し、幸せを感じることができるでしょう。
マインドフルネス瞑想と音楽。親和性が高いと感じます。演奏、創作、鑑賞など全ては、煙のように儚く消えていく音を意識する(聴く)ことにあります。これはマインドフルネスの 「今 ここを生きる」と同様であります。マインドフルネスに音楽を加えることにより、ご自身の音色(心)を確認する作業が、よりたやすくなるでしょう。
瞑想の入り口や止の瞑想(一つの対象に心を落ち着かせる)に音楽を使うことは、自我から離れていく感覚をつかみやすいと実感しています。
ただ、全ての音楽が瞑想に向いているわけではありませんので、選択に注意を払う必要があります。効果音的な瞑想音楽=特に電子音を使った音効的なものは、瞑想の形式に合っていないものもあります。瞑想は実践してみなければ理解することは難しいです。
そのような意味でも、実践者のわたしが、瞑想の導入に向いた音楽を作る必要があると思いました。言い切っていますが、瞑想音楽を作ることは自分のためでもあるからです。
ECサイト立ち上げ
2024年初頭より、仕事のためのサブHPの準備をしておりました。仕事と創作活動を分けるためにも、必要なものです。加えて、過去HPでは質問は全て無料でお請けしていましたが、トラブルも発生しまして、見直す必要があると以前から感じておりました。
雑事が一段落しました3月から調査をし、自分でも手に負えそうなテーマを探し出しました。過去HPは無料テーマでしたので、基礎ができていない自分にとっては、戦々恐々としていましたね。このようなストレスから解放されるためにも、初の有料テーマを選択しました。
8年ぶりに、新たなサイトを立ち上げてみて、過去HPとの質の差に驚きました。長いこと、データベースやPHPも更新していなかったため、数年ぶりにバージョンアップいたしました。
長らくこちらで展開してきました「編曲 採譜」「個人レッスン」はL’Atelier du Chironで 再始動しております。よろしくお願いいたします。(採譜については現在お請けしておりません。)
Labo-Chiron再構築
こちら「公式HP」では創作活動、マインドフルネス瞑想、東洋医学、深層心理を中心に発信していきます。blogは日々の生活や趣味など、肩の凝らない内容にしたいと思っています。
過去blogでは、楽曲分析、演奏会や現代楽曲の感想なども載せていました。読者は主として、専門家や音楽愛好家だと思いました。記事の内容が専門的であると推敲に時間がかかったり、他のことがおろそかになります。
訪問者も限られてしまい、いつまでも同じところをぐるぐる回っているような状態となっていました。このような状態から抜け出して、心機一転したいと思ったのですね。
肩の力を抜いて楽に生きたいと最近はいつも思っています。頑張りすぎは、全てに良い影響が及ばないです。